国民国家うんこ論

バイト先で泣いた話


私はバイト先で雇い主にかなり気に入られているので
(てか、単なるコネ)
比較的「いい」仕事をもらっている


つまり、ひどい相手ではない仕事だということだ
特に今回の仕事はそう


個人情報の問題があるのでかいつまむと
お父さんが長期不法滞在者
家族全員日本来て何年もたった
上の子は日本人との間に子どもを産み
真ん中の子は中学から日本の学校に通い今は定時制
末っ子は就学前から日本で今中学生


てな感じの家庭で現在在留特別許可申請中だ


詳しいことは説明能力がないので省くが
申請のときには上申書が必要となる
そのため周りの知り合いやら友人やらが
「この人を強制送還しないでください」的な文章を書く


私の仕事は
本人と話して経歴を文書にすることだ


情けないけど
やはり上申書を読むと泣けてくる
中学生のころに
自分がいてもよいと思っていた場所が
実は不法であり
滞在してはいけない場所であった
ということは、重すぎる事実だ


私ではなく私の先輩にあたる人が書いたものだが
末っ子にインタビューした


「お父さんからビザがないと聞いたとき、どう思いましたか?」


返事「なきました。」


私だって、人からいらないと言われた時には泣いた
戻れない という気持ちは、痛いくらいに共感する


そもそもどうして
単純労働者が入ってきちゃいけないのかはよくわからん
日本人の定義だって知らん


歴史的に考えたって
祖父には中国国籍や日本国籍
政治の都合でつけたりはずされたりした
(死んだ私の祖父は台湾出身で、17から日本に住んでた)
それは価値判断ではなく「事実」である


島国だからとか、そんなのどうだっていい
もしグローバリゼーションと言うならば
日本  という場所を理解する人には
法的手続き踏まずに住まわせてやりたいね


少数民族地域は国家を持つことを夢想する
そのために戦う
しかし
国民国家=1民族1国家
と言われた日本でさえ
本来はアイヌなどを抱えて
労働力として朝鮮半島から人を強制的に連れてきたりして
経済を反映させた
海外に武器を売って
直接ではなくともその需要に伴い
生きてきたんじゃないのか


私はEUみたいに日本がなれなんて欠片も思わない
エリートがした経済統合を(始まりは資源紛争をなくすためです)
お情けで下にもわけてやる?
反省的な態度は素晴らしいが
アメリカに対抗してるうちは駄目だよ


だって国同士の利害対立にものすごいこだわってるよ
国が何だか不明な地域で
よくぞそんなことをするね
ていうか気付けよ
しばらく暫定的には国民国家は残るし力も強い
権力機構は残るだろう
しかし国民を血統主義的に縛る時代はもう終わりだよ


職場の多くの人に信頼される
某国の偽造旅券で働くお母さん
話してみたら
直感的にすぐ
とても利発で頭の回転が早い人だとわかった
どんなに記録を読んでも
生活基盤はこちらにある
どうしてそもそも入国できなかったのかとか
細かい事情はたくさんあるが
とにかく彼女は愛されているし
生まれた国に帰っても生活基盤はないだろう


愛は感情であり法律ではない
悲しいという感情は科学でも何でもない
そんなことはわかっているが
やっぱり何か理不尽な気がして泣いたよね


国民国家の終焉を論じた本や論文は腐るほど読んだ
どれを読んでも信用に足らなかった
しかしあの在留特別許可申請記録は信用できた


国民国家を無視して動いてるのは自分達自身なのに
いろんな人が一部の外国人には冷たくあたるね
私がしなければいけないことは何だろう
わからない
だけど言いたいのは
人間の住んだ場所が生きる場所であり
国籍なんてまじでただの記録でしかないってことだ
国民国家の維持なんてしなくていい
もともとシイ的に作られたものだ


福祉のこととかどうすんの
って言われたら知らねえよって言う
考えることには限界があるからさ
まだ私は二十歳ちょいだぜ


でもとりあえず
今の国籍とか国民国家の体制はうんこだ
ということだけは自信を持って言える
それは留学したあとからずっと
うすうす感じていたこと


書いてたときに思い付いた
卒論関係なんだが


私は言語の商品化と言うよりも
言語が意識の絶対的な拠とされて
国の愛とかいうわけわからんものにつなげられたりするのに
死ぬほど違和感があるってことだ
言語を道具としてしか見ていなかった自分は自分でおかしい
しかしそういう時代にことばの美しさを言われても
価値判断とかされてもピンと来ない
国際化とかはすごい選択的に思えるし
つまらねえな と思う
卒論の方向変えるべきだな


やはり田中克彦さんの著作のくれるインスピは他をしのぐ