事件を表層的に捉えてはいけない

http://www.nippon.com/ja/currents/d00176/?pnum=1
川崎の殺人事件に関する記事。今いる場所と決して遠くない場所だ。

恥ずかしながら、私はこの事件に関して詳しく語れるほどの詳細を知らない。しかしこの記事を見て、昔弁護士事務所で働いていたことや、自分が書いた卒論のことを思いだした。

私は言語のわからない教育機関で語学以外を学習することの難しさや、周囲のサポートの必要性などをよくわかっている。私自身がそういう環境におかれたことがあるからだ。それはもちろん留学したからなのだが、それが仮に自分の意思でなかったらどうだろう。
もちろんだからと言って非行に走っていいわけではない。ただ使い古されたことばだが、子どもの周辺環境の悪化や厳しい状況は、子ども自身の逸脱行動につながる。

いつの間にか自分自身も、事件を表層的に捉えており、本当にこの事件が訴えているものを見失っている。理由はいろいろある。日常の仕事に追われていることや、プライベートでのごたごた、などなど。

でも本当はこういう記事を書いたり、背景を支えたりすることを一番やりたかったんじゃないのか。

決して今の仕事が楽しくないわけではない。むしろ楽しい。
現在私は広報代理店に働いており、記者時代のネットワークやつながりを生かした広報業務を行っている。この作業は楽しい。記事探しや分析なども行っている。今までの人生がつながった感じがするとはまさにこうしたことを言うのだろう。ほぼ毎日英語も使っており、いつかスペイン語を使えるかもしれないという可能性も見出している。

しかし、やはり思いだす。本当にやりたかったことや、卒論時に追い求めていた気持ちを忘れてしまっていいのだろうかと。