アクセス数について

実はここのページのアクセスをあげないといけない。私がもう一つやってるブログは、おそらくアクセスは友人と、友人の友人と、mixiでつながっている人くらいだと思う。
 しかし、こちらのページはそれではいけない。今後私がいろいろな人に実際会いに行って、多少でも自分のものにして、他人にとってもためになるようなことを聞き出すには、裏付けとしてこのページが色々な人に見てもらえる、ということが必要だ。


 知人で、このページを見ているのは、おそらく2人しかいないし、聞かれない限りは、人に教えないようにしてきた。知らない人に見つけてもらって、きちんと評価してもらう、という形で見てほしいな、と考えたからである。


 私は、身内の人たちに囲まれているのが好きだ。しかし、それは逆に、自分に対しての絶対評価を見失うことにもなりうると思っている。身内の人というのは、日常の私を知っている。細かい感情の機微まで伝わってしまう。日常の中で人間関係を構築するにはいいかもしれないし、高野絵理佳個人がいい気分になるにはいいかもしれない。ただ、それが人間を成長させるかというと甚だ疑問である。周りの人が自分のことを知らなかったり、嫌いだったりする方が、正当な評価を引き出すきっかけになるのではないか、と思う。


 アクセス数をあげるには、私が魅力的な文章を書けばいいのだが、難しい。魅力的な文章って、そもそもどういうものなのか、よくわからない。ある知人は、村上龍の文章が好きだと言ったが、別の知人は、同じ文章を「日本語の劣化の始まりだった」とまで言った。魅力という価値観は、極めて主観的なものだ。


 トピックをホットなものにすればよいのだろうか、と思うが、卒業論文を真剣に書きたい人が、やたらと倖田來未の話題とかを出したりするのもおかしな話だ。そうした話題は週刊ゲンダイか夕刊フジに任せておけばいい。私が担当するべき話題ではない。


 できるだけUp-to-dateな話題で、自分の興味関心などに合うことを書けばいいはずだ。日常の些細なことは、私に語りかけてくるのだから、それを文章にどんどんしていけばいい。でも、それは簡単なことではないのだ。


さあ、どうすっかな。