一気に書き直し


というのも、今日教授の公開講座を受けてきて、
また自分は学問のくくりとかにごまかされていたと気付いたから。

昨日は

  • プロローグ
  • 言語学
  • 言語と権力
  • 言語と経済
  • エピローグ

と書いたのだが、私が本当に書きたいのは
そういうことなのか、ともう一度思い出してみる。

重要なリンクを貼ろう(あとで下にも貼り直すけど)
それはこれだ。


昨日も書いたけど、
しかも就職のエントリーシートとかにも全部書いてるんだけど
言語の問題をやりたいというよりは
国際化とか多文化主義に腹が立っているというのが正確な表現だ。


これは本当に高野絵理佳の自分の言葉なのでこれだけコピペしておくと


多文化主義を掲げる人は、それがまるで素晴らしい価値観の共有であるかのように押し進めるこのような傾向は、カーソルズの『国際移民の時代』や宮島喬の『ヨーロッパ市民の誕生』などに顕著である。が、実際にそこで進行しているのは失業であり、価値観の衝突による差別の進行であり、経済格差の進行だ。」


言語の商品化についてやって、
そこから上位変種と下位変種についてやるべきなのかな。
そうすれば結構国際化批判になる、と私は思うのだが。


これも私が書いた言葉なのでコピペすると


「そもそも国際化というのは、『資本論』でも述べられているように、植民地政策の下に押し進められてきた傾向である。」
「言語というのは、たとえそれが母語であっても、生きるために恣意的に選ばれているものであって、実際の愛だの民族だのとは全く関係ない。」

で、ここがポイントだと思うのだが、
恣意的に撰ばれているとは言え、
やはり社会環境のもと撰ぶ撰べないという問題の
外側にあるとも考えられる。


こう考えていくと、始めに明らかにすべき過程は、やはり言語の商品化なのではないか。そのためにはもう一度資本論の始めの部分を読み返す必要がある(第一章とか第7章とか)。


そしてもう一つ重要な作業がある。エピローグをきちんとした形で書き始めなければならないということだ。作業としては意外とめんどくさくないはずだ。もう一個のブログの文章を集めてきて(これがめんどくさい可能性はある)、きちんとした文章の形にしていって、ここで発表したい。