サリンジャー、そして自分の生き方について

この記事を書いたのは、当時時事通信に勤めていた私です。
ウェブ魚拓

この記事の執筆にはかなり長い物語があります。

まあもともとそこまでインターネット上で知り合った人と会うことに抵抗がなく、かつ比較的ライトなカルチャーと伝統的カルチャーの両方を好むことができる自分が好きだった。両方とも中途半端になるという欠点はあるけれど、その状況が楽しかったんだね。初音ミクの記事書いたり、いろいろしてて、その最中に「西宮で記事書けないかなあ」と思った頃に調べてぶち当たったのが涼宮ハルヒシリーズだったんだね。

そこから私は知らなかった涼宮ハルヒシリーズを読み漁ったね。実はラノベそのものの盛り上がりというのはいったん去っていた。でも私は実はラノベ携帯小説が結構好きだったので、記事にできればいいなあとは前から思っていた。兵庫図書館にたまたま結構あったので、読みまくったのと、ない部分については取り寄せた記憶がある。

楽しかったなあ。でも、一方で苦しかったなあ。

それで次にやったのが聖地巡礼の話の調査でした。西宮に聖地巡礼(アニメ的な意味で)してる人絶対いるよね?ね?と信じた思いが、インターネットの検索。ここで西宮北口付近にある「夢ドリーム」という店がアニメの舞台になっていることを知りました。

そこからは記者ですので、直で電話してアポとって、実際に会いに行きました。日程も合わせてもらって、そこの管理とかをやっている人に会いに行きました。店主の方がアレンジしてくれて、あるサイトでドリームを紹介していた人に出会うことができました。たまたまですが、この人も割と気さくな方でしたね。運がよかったのかもしれません。その店主の人もフラットな方だったんでしょう。特別な抵抗はなかったようです。

店の人はハルヒを全くと言っていいほど知りませんでした。逆にサポーターみたいになった人が、その店主さんを裏サポートしていたと言えばいいでしょうか。でもとっても和やかそうでした。店の人もそのサポーターの方々を信頼していたようでした。

店を訪れる人が、みなマナーがあったのも比較的よかったのでしょう。まあもともとがラノベスタートなので、一気に殺到するという感じではなかったというのもあるでしょう。とはいえ、やはりアニメ化されてから人は増えたということでしょうが、マナーのない人はあまりいなかったとのこと。

記事になりやすいトラブルだとか、問題だとかはなかったんだけれど、逆にそれに安心して、嬉しかった自分がいました。一方で、決して迎合するのではなく、落ち着いてコーヒーにこだわった店を続けて行く店主の方もすばらしいと思いました。つかず離れずというか。
結局記事はあまり大きなものにはできなかったけれど、それでも自分にとっては印象に残った記事のひとつです。

私はどうも問題点を書く記事っていうのが苦手みたいですね。それよりも、「みんな仲良くやってるんだけど、どう思う?どうよ?」っていう感じの記事の書き方の方が好きだったんだね。だから、この記事も結局そういう結果になったんだと思う。

東京に帰って、そうした記事を書く機会も減って、いつしかドリームのことも忘れてしまっていた。夢になっちゃってたんだね。

しかし、先日記事を見ておかしいと思ったことがありました。


店主が変わっていたのです。


そこからいろいろ調べて行くうちに、私が取材したマスターは約1年前にお亡くなりになり、今は奥様がお店をやっている、ということを知りました。自分がいい経験をさせてもらった人は、いつのまにかなくなっており、自分はそれを知らないまま1年が過ぎたのです。記者を辞めたこと自体は後悔していませんでしたが、初めてこの件で、業界を変える転職とはこういうことなんだな、と思いました。

さて。

少し前にサリンジャーの本を読みました。
はっきりいって自分には理解できないタイプの文学でした。でもこれを謎解きのように読む楽しさとかはあるんだろうなと想像しました。それはきっと自分が当時ハルヒに感じていたものや、ハルヒを読む人が集まっていたあのドリームに近い場所などがあるんだろうなと思いました。また一方で、心のどこかでサリンジャーが描く柔らかな人間関係を感じ取ったような気もしました。
このタイプの本は、(今もそういう部分はありますが)かつての私なら最も忌み嫌うタイプのものです。訳文のせいなのか、それとも原文のせいなのかわかりませんが、必要以上にまどろっこしく、簡潔でない文体を使う本は大嫌いです。小学生くらいのころに読んでたら分からないですが、樋口一葉でさえも腹が立ってくる私にとってはこんなものは無理です。
それでもまあ、自分は一応サリンジャーを2冊ほど読み通したのです。正直苦行に近いものがありました。でも面白い部分も感じられたことが、自分にとっては新鮮なことでした。

思えばいろいろなことを考えて行くうちに、自分はずいぶん昔の理想とは離れたところに来てしまったものだということに、このときも改めて気づいたのでした。絶対に理解できなさそうなサリンジャーをこの年齢(30歳)になってから読み、そしてドリームのマスターの死にかなりのタイムラグを経て触れたこと。この2つによって、私はもう自分がかつて考えていた「大人」ではないことに気付かされました。
私は今こそ、自分の新しい物語を作る必要性があるのかもしれません。

*この話は2014年5月ごろに書いたものですが、長らく下書きに放置されていました。本日(2014年12月)ふと思い出し、公開することにしました。