映画も読書にいれてよいのでしょうか

エミレーツを使ってスペインに行きました。少し前なのですが。
ドバイ経由でスペインに行くと大変なことになります。

羽田か成田→11時間くらい→ドバイ
ドバイ→7時間くらい→マドリッド

エミレーツ航空のサービスはエコノミーにしては最高ランクだったものの、さすがに計18時間くらいの飛行は耐え難いものがあります。エミレーツのせいではありませんが、もう同じ経路では二度と使わないと思います。寝るのに飽きるくらいですから。

そんな暇だったので映画をいっぱい見ました。

これだけだったかな?まだあったかもしれないと思うけど・・・

思い出したらそれぞれ感想を書きたいなーと思います。
ちなみに全部スペイン語で見てるんでちょっとセリフとか適当です・・・

転職しました、そして書けなかったたくさんのこと

先日まで時事通信という会社に勤めており、記者をしておりましたがやめました。背景にはさまざまな事情がありますが、最大の原因は商品になる原稿に自分の書きたいことを盛り込めないことや、その才能が著しく欠けていると感じたことが背景にあります。あと、この5年半での自分の成長度合いがクズすぎたということもあります。
毎日とにかく失望感ばかりに襲われており、そんな生活には疲れてしまいました。それは仕事が楽しかった時でも同じであり、どうして自分はこんなにダメな人間なのだろうということを常に考えていました。直接のきっかけになったのは一度も希望していない場所への異動を告げられたことでしたが、かなり前から転職は考えており、それはきっかけでしかありませんでした。きっと希望していない部署への異動を告げられたのも、自分がダメだったことの証左なのだろうと私は考えました。とにかく関係していたみなさまには申し訳ない気持ちでいっぱいです。本当に自分がクズすぎた。
在籍中はどうやったら自分が商品として活躍できるのだろう、そればかりを考えていましたが一瞬たりとも商品にはなりえず終わっていくことになってしまいました。私は自分に対して支払われる金と経費、それを考えたときにマイナスにしかならない自分のことが常にプレッシャーでした。

会社の人が嫌いになったというわけではありません。時事通信のことが心底にくいわけでもありません。
嫌いになったのはマスコミのシステムと世界全体です。

ところで書けなかったことがたくさんあります。
1.バルセロナ旅行記
実は旅行記を出すところがあるのですが、落ち着いたら書こう、と思っているうちにまったく落ち着かない状況になってしまい、挙句の果てには最繁忙職場への異動を命じられ、結局かけずに終わってしまったことは非常に後悔しています。特にバルセロナは思い入れが深かったので・・・

2.アリカンテ旅行記
実は(ry)
アリカンテについてはそれ専用に写真も何枚か取っています。非常に残念です。また、日本人にはあまり知られていない場所(ただし田舎)ということと、自分が滞在した場所ということもあり、非常に紹介したかったです。

3.レウス旅行記
実は(ry)
レウスについては、バルセロナから電車で1時間半ほどの場所で、強烈におすすめしたい場所です。ガウディの生まれた場所ですが、それだけではなく、ガウディのライバルと言われたドメネク・イ・モンテネール等の建物がところせましと並んでおり、こちらも強烈におすすめしたいです。ここも専用の写真をたくさん撮影してきたところだったので、非常に心残りです。

4.バルセロナ自治州大学教授へのインタビュー
これも話が途中まで進んでたのですが、その途中で異動を言われたので、非常に困難になってしまいました。とってもとっても残念です。独立問題などについてインタビューする予定だったんだけどねぇ・・・・でもそれを素晴らしい記事に仕立て上げる能力・自信はありませんでした。

5.地中海連合について
これも実は具体的にある程度話が進んでいて、チュニジア大使館に取材まで行ったんだけど、結局時間がなくてできませんでしたねえ。。。。非常に残念。時間を都合するのがすごく苦手なんだと思います。ちゃんとそっちに向いてやらないとできないというか・・・。
これについては、バルセロナに行ったときに私の愛するオスピタル・デ・サンパウが拠点になることを知ったのがきっかけでした。サルコジの呼びかけによってスタートし、その後サルコジがやめ、中心国のスペインも迷走、アラブの春の影響は?!などなどあったのですが、とっちらかってうまく行かなかった。難しいですねえ。

で、今は何をしているかというと通訳・翻訳のコーディネートをやっています。請求書とか、見積もりとか、やったことがなかったのでどれも新鮮です。楽しいです。これからもがんばりたいと思います。

エミネムを題材にした卒論があったかもしれない・その2(東京編)

どうも。しつこく同じ人のライブの話をまだします。これは8月17日の話です。Eminem次いつ来るんだろうな・・・また、このライブで後日、知らないうちに胸部を打撲していたことが判明します。風呂に自宅で入ったときに、胸のあたりに治りかけている痣が見つかったのです。これはドン引きでした。しかもかなり大きかったっていうね・・・どういうことだこれは。

で、東京(千葉マリンスタジアム、今は名前違うみたい)のライブですが。
大阪を出たのは9時過ぎでした。今思うともうちょっとゆっくりしてもよかったかも。この日寝た大東洋ってところがおすすめすぎるので、女性は行ってみてください(雑魚寝が気にならない人のみ)。個人的には、下手なホテルや漫喫とか泊まるよりよっぽど快適でした。ちなみに2500円なー。ゆっくりできたし、風呂も大好きだし、タオル貸してくれるし、感動しました。ぜひ行ってみてください。男性用もあるらしいです。

東京は海浜幕張駅ナカに荷物置いていった。これは他に置く場所がなかったことを考えると正解だった。実際はロッカーあったみたいだけど結構預けるの大変だったらしい。ちなみに、9年前に預けたはずの駅外のロッカーはいつのまにかなくなってた。海浜幕張駅そのものには何回も来てるのに、なくなってたのはこの日知りました。


今回はネットの知り合いにチケットとってもらってた。番号は右200番。敢えて書いてないけどどちらもゴールデンサークルです。入るともう中央最前は取られてて、横最前か真ん中ゴールデン中の区切り辺りしか空いてなかった。少し悩んだが大阪であまりEmが横に動かなかったことを思い出して真ん中に行った。実際は結構横にも行ったので、今思うと横最前でもよかった気がする。

流れはだいたい大阪と同じですが、やはり違うのは客。大阪の方は洋楽ファンが少ないから、やはり来てる人がドープだった。ていうかこれ昔大阪サマソニに行ったときにも思ったんだけど大阪(関西?)洋楽聞く人が少ない!あのタワレコでさえ、三宮の洋楽売り場はすごく少なかった。神戸に限るけど、オタクに寛容だけれども、実は近くにいるとすげえ拒絶するっていうのと似てると思った。つまり洋楽も似たような扱い受けてるんだよ。洋楽とかエミネムとか好きっていうと「ふーん・・・すごいね・・・」って言っておきつつ実は心の中で「この人とは趣味の面でかかわるのはやめよう」と言ってるのが聞こえてくるような・・・!そうしてEminemとか好きな人は孤立していくんだよ!!ちなみに三宮のタワレコはヒップホップの売り場すごい全体的にせまいんだよね。
逆に神戸のバンドとか好きだと喜ばれます。

話がずれましたけど、大阪はそうやって地元バンドが好かれる傾向にあるので、やっぱり来てるファンがドープなんですよね。歌詞をヴァースも含めて歌えたりとか・・・。すごい。そういう人がやっぱり少なくて、私がイラッとするスイーツ的客とか、なぜかイチャイチャしながら待ってるカップルとかいるんですよ。イラ壁なんてもんじゃなかったですよ・・・。大阪の来てる人は「普通でもヒップホップライブ行ってます」「洋楽のこういう系のライブで一番前に来るのがどういうことかわかってます」という体の人が多くて心から安心して見られたんだけど、そうじゃなかったんだよね。ミーハーっぽい人が多かった。ただ9年前も来てる人はそれなりにいたくさいです。でもわたしにもミーハーな部分はあるし、盛り上げられればミーハーでもなんでもよいと思っているので関係なかったです。問題は「盛り上げろよ」ってことで。

一部で人が少ないとか言われていますが、9年前と比べれば人捌きのレベルが格段に上がっていたので(前の方の人だけなら決して少ないわけではなかった)、その意味で快適に見られてよかったです。やっぱりあれは反省点が多かったんだろうし、苦情もあったんだろうな・・・

この日は2回目だったので、さすがに登場時に、大阪で泣いてたほどの衝撃はなかったけど、それでも嬉しさはあった。昨日とほぼ変わらぬ手順でサクサクショーをこなしていくエム。エムのテンションは大阪と比べると低い気もしたけど、ライターズあたりからは盛り上がってた気もする。ちなみにわたしが端を確保したのは安全にライターをかざすためです。途中でエムがライターかざせっていうんだよ!!!!でもライター結局途中で切れてワロス!!!Airplanesとかは前日の練習の甲斐あってw、完璧に歌えたことに興奮しましたw

想像してみようよ
夜空を飛ぶ飛行機が流れ星だったとしたら
願いを一つすぐに叶えるんだ、今すぐに

このあとに来るのが「もしもマーシャルがペンをとらなかったら」だよ!!!!!?????いつだって人は小さな選択をし続けている。仮にそれが間違っていてもいなくても、その選択をしなかったら今はない。
エムはさらに言う。

父親がいて母親がまともだったら 友達がいたら ステージにはたってない

どんな間違っていると思われる選択だって、踏まない限り今の自分はない。このように、他人のストーリーに乗せた場合であっても理解可能な形で言葉を紡ぎ出すエムはやはり天才だと思った。いつだって、自分とエムの生活を重ねて「でもわたしはまだ大丈夫」と言い聞かせてきた9年間。この日見ていたライブも、流れを分かっている2回目ともなると「この9年間のエムとわたしの生活」を思い出してうるうるきてた。
9年間何があったか。大学に通って、男とうまくいかなくなって別れたりして、そこでまた勉強もうまく行かなくて、でもその中でもがいたりして、スペイン語仕事で使おうとしてみたり、一人でバスク地方に行って原点に戻ってみたり、英語やっぱりうまくいかねえって思ってうじうじしたり、自分の人生間違ってるって悩んでたり、自分に自信がなさすぎて大学院進学やめたり、仕事選びって難しいと思ったり、理想を見つめ直してみたり、しかもそれで予想外の仕事に内定してそのまま就職しちゃって、興味がなくてもいつか役に立つかもって転がり落ちてきた仕事を延々とやって毎日泣いてたり、でもその中で何とかこれまでの自分の人生活かしたいってもがいてみたらいらねーっていわれたり、おまえはもうどうしようもないから的なこと言われたり、人に嫌われたり、嫌ったり、そうかと思うと男とよりを戻してみて、今度は決定的に破綻したり、ってこれだけみるとただのクズじゃねーか!実際クズの人生だったと思うよ、今もクズだと思うしどうやったらクズから抜け出せるのかって一生懸命考えてる。エムのライブを最後に見たとき、人生にはたくさんのことを詰め込みたいって思った。だからどんなことも受け止めて行こうって思った。転がり落ちてきたことを受け止めていれば人生うまく開けるんじゃないのかな?って。自分の人生は社会実験だと思えば絶望しかなくても割り切れる。たぶん大学時代にスペイン語でバイトしてしまって以降、人生には行き詰っていて(今も)、基本的に絶望しかないけど、その中でも「きっと私、社会に生きてていいって思う瞬間がいつかあるよね?だから毎日嫌でも我慢しようね?」って言い聞かせてる。実際、生きていていいかなって思う瞬間は、神戸にいたときは250日に1回、東京に戻ってきたら100日に1回程度の頻度である。将来見出せなくても、何があっても、きっとそれが無駄じゃないって思える瞬間が少しでもあれば、もうちょっと生きててもいいよね?ってずーっと言い聞かせてて、それは現実になってる。
エムがアンコール出して、私は聞いて泣いたよね、これでエムやめちゃうかも、って。日本には来る様子がないからダブリンの最終コンサート行こうかな、って思ってたらキャンセル!それで感想書いたら雑誌載っちゃって、エムがいつか本当にやめちゃうかもしれないって心配になってた。書くのって面白いかもなってぼんやり思いながら就活してたら記者になっちゃった。就職することになったけど、エムはなかなか戻ってこなかった。やっと戻ってきたと思ったら、それは暴徒化したShadyの曲で、私はMarshall Mathers LPみたいな方が好きだけど、こうやってしかエムはもう生きられないのかな?と悲しくなってた。私も仕事うまくいかなくて、悪夢みたりとか金縛りあったりとか、夢に座敷童出てきたりとかホント死んだ方がマシじゃないかっていう生活送ってた・・・・そこでエムがやっぱりCD出すって知って、聞いてみたら前作とは違う方向で、やっぱりこっちに行った!戻ってきてくれた!と思った。自分も聞いていて「がんばってていいよね?」と思えるようになった。Beautiful(Relapse収録)の軸に行ってくれたわけだ。つまり、他人にも共有できるようなプライベートストーリーを皮肉って綴りながら、共感を呼びかけて、聞き手に勇気を与える、という・・・
自分はエムを見ていつも生きてきた。薬におぼれたときでも、あれだけのプレッシャーなら仕方ないと思った。急に世界に注目されたらしょうがない。でもそんな中でもEMは戻ってきたんだよ。私もいろいろあったけど、今なんとかしてスペイン語と英語を使えるポストを見つけたんだよ。今、こうやってあなたのライブに2日連続で来られる金を稼いだよ。まだ身分相応とは思えないから頑張らないととかいろいろあるけれど。

で。love the way you are、誰もがリアーナが来てくれるだろうかと思ってただろう、しかしわたしはドレーが来ればよかったので来なくても「まぁしゃーないな」で済んだ。でもその代わりに、I need a doctor のイントロが始まったとき叫んだし緊張で震えたよね。やっぱグラミーでドレーが出てきたときの興奮半端なかったし、あの願うような表情をするエムにも萌えるし・・・たくさんの気持ちを胸にかかえながらコーラスを歌った、一生懸命歌った。でもドレーは来なかった。
もう半分諦めていた。アップルストアのイベントに出たのも、ただの遊びで日本に来たかっただけなんだ、と。それでもいいと思った。エムが頑張ってショーをやってくれたから。
そしてショーはクライマックスに入っていく。エムが「ホームみたいに感じさせてくれてありがとう」と(昨日と同じようにとはいえ違うタイミングで)言う。エムはCan i take you back!!!!!!!と問いかけ、yeahと答える聴衆。これも昨日と同じやり取りだった。
雨が心配されたけれども降らなくてよかった。9年前よりもエムが楽しそうでよかった。またエムのショーが見たい。基本的にエムの顔はずっとシリアスで微笑んだりしない。きちんと進行されているかを確認している。でも少しだけ、口角があがったような気がした。それだけで十分だった。仕事を休んで、それでも彼のことを見たい、そういう必死な気持ちで私は巨額の金を使ってきている。それが2日も実現できたのだ。本当によかった。好きだ。エミネムが好きだ。そして、彼はデビュー曲を歌い始めた・・・Hi! My name is! My name is! My name is! Slim Shady! 昨日と同じやり取りに安心してみていられた。
このあたりで、やたらとカメラ撮影の規制が厳しくなり、周囲ではセキュリティーの人が中に入ってきて指導をするなどしていた。めんどくさいけどまあ仕方ない。それだけ私は至近距離にいたのだ。私はきちんとSlim shady!とレスポンスを返すのに必死だった。Hi kids! Do you like the violence?歌詞なんて忘れてしまってると思っていたし、ましてやこの曲は私の中で好きではない曲に入る方だ。それでも全部覚えている。口が動く。中盤でDr. Dre said "Slim Shady you're crazy"というところがある。そこで音が止まった。
そこで流れてきたのはあの、あのイントロだった。何か幕が下りてくるような雰囲気を彷彿とさせる、その場に流れる時間を一瞬遅くするような、あのイントロだ・・・この人がエミネムの親と呼ばれる人??ギャングスタ怖いけど知りたいと思わせた、あのポールダンスをつかったPV・・・Next Episode。高校生だった私に東海岸と西海岸のビーフについて勉強させるきっかけとなる曲だ。あの退廃的なポールダンスは、衝撃的過ぎたけれど、知りたいという気持ちをどうしても止められなかったものだった。いつになっても発売されないDetoxというCD。でも聞いている曲の根幹にはあの琴をはじくような不思議な音がいつも流れていた。あの、Dr.Dreがいた。
嘘だと思った。こんな時が人生で訪れるとは思っていなかった。エムとDreを一緒に見ることができるなんて!!!!私は大きな声で叫んだ、はずだけどよく覚えていない。Hey Man! Here's Dr Dre!とおどけた感じで言うエム。みんな半狂乱だった。誰もかれも、あきらめていたところだったのに。Dr.Dreとエミネムを見ることをみんな夢見ていたけれど、そんな日は来ないと思っていたのだ。ドレーは祖父あたりが日本人だったとか。その辺の思いはあったのかどうかはわからない。でもみんな待ってた。エムと共に待ってた。彼がかましてくれるのを待ってた。ドレーの前で少しリラックスして、コミカルな表情をしていたエムは、軽く手をあげて次の曲を指示した。そこで聞こえてきたのは、忘れたくても忘れられないあの曲だーーー
まるで階段を上っていくような弦楽器の音。forget about dreだった。Forget about dreはエムのパートよりドレーのパートの方が好きだ。世間に忘れられてるかもしれないし自分は置き去りにされてるかもしれない、でもまだ終わってないはずだという自分と他人への言い聞かせ(これ、I need a doctorとテーマ似てるな)。If you don't like me, blow me!ただの強がりかもしれないが決してそう見せてはいけない。当時がけっぷちだったはずのドレーの歌いっぷりはそんな感じにみえた。エムはドレーを表舞台に引っ張りあげた人間であると同時に、引っ張りあげられた人間でもあった。その絶妙な相互関係を理解するとこの曲はさらに深みを増して聞こえてくる。

「最近みんな言いたいことがある風だけれど、でも唇が動いても何も出てこない ただの無駄話ばかり クソ野郎共はドレーのことを忘れちゃったみたいだ」

と歌うエム。まだYouTubeもなかった時代、わざわざシングルを発掘してこの曲を買い、CD extraだったこの曲のビデオを何度も見た。聞いたらわたしにも意味のある言葉が話せるんじゃないかという微かな期待をいつも持っていた。でも出てこない。聞いてるだけじゃなくて、自分で道は切り開かないとダメだ。私はコメディドラマ仕立てのpvを飽きるほど見て涙を流した。ちなみにドレーパートとエムパートの1ヴァースずつで終わりで長くはなかったですが、もっと聞いていたいと真剣に思いました。
この年になって、こんなに感動し、泣けることが残っていたことに驚いた。この瞬間を忘れないだろうと思った。サビの部分は一万回は歌って自分を勇気づけた。そうでもしなきゃダメだった時期が存在した。どちらかと言えば感情の起伏が激しく泣きやすい自分がこの年まで生きられたのは、そしてさして他人と変わらない人生を生きてこれたのは、生きて自分らしい生活を模索してくれたエムの人生を見続けていて、自分の辛さなんて大したことないと言い聞かせていたからだ。そういうことを思い出しながら聞くnot afraidには特別な意味があった。「…最悪な状況にいるやつらのため、お前らのための曲だ!」と言って「I'm not afraid 〜」と始まった。自分にとって、何よりも特別な時間が終わろうとしていた。ブリッジを歌うときには泣いてた 二回目なのに何故だろう。少し大阪の時より早めにアンコールに出てきたエムがlose yourself をまた歌った。歌い終わった後も、エムは大阪の時よりも長くステージにいたように感じた。そして指揮者のように手や足を動かして、ステージ上のバンド隊と音を出して観客の反応を楽しんでいた。そうやって楽しんでたくれたエムを見られて幸せでした。

元気がでなくった時、すべてが嫌になったとき、わたしはエミネムの曲を聞く。きっとこれからもずっと。そして彼の人生を一人のファンとして、そっと見守りたいと思う。Marshall Mathersがいつまでもしあわせでありますように。


おまけ:エムは日本公演のあとは韓国公演にいったらしいです。想像だけど、サマソニオファーしたけど韓国公演先決まっててスケジュール的に無理だったんだろうな…

エミネムを題材にした卒論があったかもしれない(エミネム来日公演・大阪編)

私の大学時代の卒論は、結局英語の商品化・帝国主義化と経済への影響についての話だったが、何回か今までも触れているようにエミネムを題材とした卒論にしようとしていた時期がある。ただエミネムが好きだからだけじゃなくて自分が支えられてきた存在だし、ここまで惹かれる理由を突き詰めたら面白いかなと思ったからだ。ただうちの研究室にはブラックミュージックを題材とした卒論を書いた人がすでにおり、これを超えるのは困難だなと判断したため、やめたんですよねw

大学のころ、ずる休みと呼べる休みはほとんどしたことないけど、その一つがエミネムのライブ@大学1年のころだった。今でも覚えているけれど出席を取っていない数学の授業を友達に出てもらって、後でノートを写した。わたしは国立を昼ごろ出発し、午後2時ごろに幕張につき、炎天下(初夏でした)で数時間並んだ。でもそれでも全然価値があった。動くEMINEMをこの目で見ることができればなんでもいいに決まってるだろそんなの。

というわけで仕事休んで(!!)大阪と東京の2公演行きました(ちなみにきちんと事前に休みを申請しています。不正は何もしていません)。かかった金は推測7〜8万円。でもこの金でEmが幸せになるなら僕はまったく問題ない。すべてエムに行かなくても、Emが見つめるクラウドの一人になれれば問題なし。クラナドは人生と言った人がいるらしいが僕にとっては割と真面目に「エミネムは人生」。

大阪の日は、そもそも泊まり明けだったんだよねw明けのまま、朝の新幹線で大阪に向かいました。大阪市内有効のチケットだったので、同じチケットでUSJの駅まで行きました。そこまで行けば飯食えると分かっていたので。

ところがここからロッカーを探すのが至難の業でした。家出娘のような荷物をしょって会場に行く気にはなれない、が、夏休みの日ということもあってなんかロッカー埋まってるんだけど・・・USJ内のロッカーはあるけど出せなくなった時がやばすぎる。

私は本当についていて、2時間くらいうろうろしている間に場外のロッカーがあいたところを見つけ、早急に荷物を入れました。本当にあってよかった。最終的には会場にもクロークあるのが判明したんだけど、それでもやっぱりこっちでよかったと思ったわw

16:00入場で、きちんと番号順に入っていく。昔(9年前)とは大違いだね。前は適当に先着順で大変なことになってたから。大阪の時の番号は70番。最前列の中央をゲット、スローターハウスでも盛り上がりましたが、エムが出たとこでもう泣いてました。まあスローターハウス終了後から1時間ちょい待たされたからなwなんであんなに開けたんだろうな時間・・・その教訓か、翌日はスローターハウスの出てくる時間が変わっていました。

カメラが向いてた舞台向かって右手側から出てくると思ってたけど、実際は中央部から浮き上がる形で出てきました。かっこよすぎだろJK。。。ほれてまうやろっていうかもう惚れてたわ・・・ちなみに9年前はセットに据え付けられてた観覧車の中から出てきました。ただ、今回はそういう大規模なセットではなく、スクラップ車を模したセットの上に楽器が据え付けられてるというシンプルなものだったので、登場の仕方には驚きました。予想を裏切った場所から出てきた少し痩せた(9年前は少し今よりはやや太ってた)エムの姿を見て涙出てきて叫んでた(とはいえ始終叫んでたけど)。

彼が出てきた瞬間に人が押し寄せてきたら一番前だから圧死するかなと思ってたけど、それほどではなかった。やはり破格のチケット代金により中途半端なニワカがいなくなり本気の人が多かったのかな、と推測している。わたしもかなり曲覚えてる方だけど、サビ以外の歌詞も全部暗記してる人とかいた。すごすぎだろ…何曲あるんだよ…その記憶領域は他に生かした方が良い(自分含む)。

最初はWon't back down(P!NKなし)だったんだけど興奮しすぎて脳内の引き出しから曲を出すことができなくなってた…(笑)二曲目の3.A.M.からやっと頭が動き始めた。
彼が見えた瞬間、自分とエミネムの関わり(ただし一方通行)が走馬灯のように脳裏に浮かび上がってきた。留学前に混乱して、不安だったころにKimを聞いて「この人には何かある」と本気で感じたこと、でもそれが何かは分からなかったこと、その後もずっと好きだったこと、などなど。
3amは結構暗い曲なんだけど、やはりここ数年のエムを語るには外せないと思ってるので、やはりやったか!と感慨深くなった。薬漬けになったところから、ホラーみたいな感じで浮き上がってきた彼を示すには欠かせない曲だ。Relapseの時点では、完全にペルソナをかぶって爆発するっていうスタイルを続けて行くのかと思ってた(実際はそうならなかったけど)。Relapseを聞いたときには、正直このまま行っちゃうのかすごい心配になったことも覚えてる。

その次にsquare danceをやったんだけどこれはたぶんエム自身盛り上がる曲だと思ってやってるんだろな、The Eminem showのときもやってたはずだから。Square danceからはW.T.P.につなげてました。この2曲は似てると思う。だめな奴ら同士でつるんで行く空気がw
WTPとはwhite trash partyの略で、タトゥーの映像がひたすら流れて、邪悪な雰囲気が良かったです。個人的にも好きな曲だったので嬉しかった。

自分自身でなんとかなるけど、一人になりたくないのはみんなわかるだろ?だからフロアに出て誰か捕まえろ!
ホワイトトラッシュパーティーだ!

というのがサビなんですがとにかく暗いです、でもそれがエムなりのパーティーなんです。ホワイト・トラッシュっていうのは言葉の通り、白人のクズのことです。Emは自分自身のことをよくそうやって言います。アメリカの白人クズ層(というかブルーカラー最下層)のことをそのように表現するらしいです。

WTPの後はkill youでした。最近のエムはあまりシェイデイー風味があるものはあまりやらないはずなんだけど、かっこいいものはかっこいい。歌いやすいのは「シェイデイーには関わるな、殺されるぞ」という歌詞なんだけど、みんなとそれを叫ぶのは爽快でした。
確かkill youのあとは少し話してた。Hey Japan... it's 9 years, long time, ah?とか言っててそれがグッときた。その間にエムが過ごした人生のこと考えて涙出た。ホントEmの人生涙出てくるくらい大変だよね。

このあたりから曲順の記憶があいまいなんですが、No Loveだったかな?わたしあんまり好きじゃないんだけど(笑) この辺りで「もしやコラボ曲中心なのか?」と気付く。ちなみにこの曲はリルウェインとのコラボ曲です。もちろんEmのパートしかやりません(できません)けどね・・・。
ここにボナルーフェスのセトリがありますが、おそらくこの通りだったと思います。ていうかフェスと同じセトリって・・・もっとやってくれよ・・・
No loveの後So badってなってるけれどそうだったっけか?もうちょっと後だったような気もするけど・・・So badそんなに好きじゃないんであんまり覚えてないんだよね!w
その後にはまたThe Eminem showからの曲で、Cleaning out my closetだった。やる前には「親と問題起こしたやつはいるか!」とか言って「fuck you mom!」とか言ってコールアンドレスポンスやってた。Fuck you momとかのコールアンドレスポンス、客観的に見たらひどいレベルだよな…wでもエムなのでかっこよかったです。誰しも父や母に対して抱く思いって複雑なものがあると思うんですが、Emのは一段と深い。でもそれを歌うことで、みんなの複雑な思いを引き受ける曲にもなりうることに彼は気付いたのではないだろうか。想像だけど。
Cleaning out my closetの後はThe way i amでした。エミネムをここまで好きになったのはこの曲があったからだと思います。一番好きな特別な曲です。日本ではあまり人気がないようでしたが、わたしはあの曲がシングルカットされたと聞いたときホントに泣きました(すでに10年前の話)。あの曲は、自分のあり方を迷いながらも肯定しようともがく曲で、エム自身もよくインタビューで「好きだ」と言っています。そして彼自身あまり盛り上がらないのを知りつつも必ずライブでやります 彼にとっても常にいろんな意味を含む曲なんだと思う。ただ日本人にとってはサビの難度がwtpと同じくらい高いです。私はたまたま思春期に1000回くらい聞いてるから歌えるけど普通無理だろ… なのでホント昔は日本では盛り上がりませんでした。
ただ、今回は違った。2万円という微妙に貴族な値段設定により、コアなファンが来ていましたので、少なくともサビは歌えていた。ライブ映像を見る限りでは、普通のヴァースも一生懸命歌ってる人がかなりいますが、さすがに日本ではそれは厳しい(私も無理です)。でも結構ファンが来てるってことは伝わっているといいなと思ってます。
惜しむらくは、フルではなく2ヴァースくらいだったこと!悲しかったよー全部聞きたかった!ただたぶんサービスタイム(後述)除けば一番古めだし仕方ないかなと納得させることにしました。
その後は昔からの盟友ロイスが出てきてbad meets evilなんだけど、わたしもともとあんまりbad meets evil好みじゃなくて避けてたんだよね。SSLP時代にも彼らは同じようにやってて、その昔のイメージではただのコメディみたいな感じにしか見えなくて…でもすみません、すごいかっこよかった。Fast LaneはあれはPVかな?すごくよかった。タイトなまとめ方が素敵でした。普通に考えたらロイスがスローターハウスで来るの分かってるんだからbad meets evilもやるだろっていうのは自明なんですが…一応社会人だからそこまでカバーできないんだよ!だからあんまり聞いてなくて、Danishってみんなで叫ぶところとかはうまく言えなかったよ・・・
ロイスが出てきたら当然やるだろうと思われたのがlighters.たぶんこれはエムがいつもやってるライターを出せーっていうやつから着想を得たんだろうなあ。で、「ライター無理な人はケータイ上に掲げてくれ」とエムがいいます。ちなみに携帯の電池が切れる寸前でひやひやしてました。あとわたしの携帯は自動で画面が消灯する仕組みだったんでそれもイラッとしました。普通にライト出すと電池食いすぎるしもうあれどうすればよかったんだろう?なんか蛍光のライト持ってきてた人もいたね。
ちなみにこれ、昔からやってんだけど、9年前の時は戦場すぎて不可能だったんだよね…実際携帯出せるような状況じゃなかったからな・・・会場運営がホントクソすぎて・・・・そのときはなんの曲だったかなぁ、確かsing for the momentだったような気がしたんだけど。
後ろを見ることはできなかったけど、前回より(というか大阪は全体的に人が少なかったので)余裕があったので、今度こそみんながなんかの光を頭にかざしてくれているとよかったなと思います。携帯でもなんでも光ものをみんながかざしている間、目の前のスクリーンもみんながライトをかざしている画像になっていて、非常に美しかった。
Lightersの後はairplanesが流れた。自分でもびっくりしたんだけどこの曲わたし知らなかったんだよね。リカバリー出る少し前辺り、仕事も忙しくてエミネム以外は追えなかったんだよな、だからエムが客演してる曲とかは知らないんだよ(言い訳)でもサビがすぐ歌える系でよかったです。映像、あれプロモじゃないよね?でもすごく綺麗だった。もしもマーシャルがペンをとらなかったら…もしもマーシャルに父親がいて母親がまともだったら…ここにはいなかったみたいな歌詞で・゚・(つД`)・゚・ブワッ
大阪の方では確かロイスありがとーみたいなこと言ってMr. Porterを呼び戻してたと思う。
そのトーンのままStanに突入・・・ほとんどの曲が一部カットされているなか、これはフルでやりました。この曲が彼にとっても大切な意味を持つことは想像に難くない。この曲あたりからやっとエムはシリアスラッパーとしての地位を確立し始めるんだけど、それでもまだ世間は軽いShadyとしてのEmを求めている感じがしてシリアスなEmが好きな私としてはかわいそうな感じがしてた頃(一方的なおせっかい)。
その後もう少し話してsing for moment。わたしsing for the momentのサビがうまく歌えなくて(涙) しょうがないんだけどね…昔からあの曲はうまくリズムつかめなくて。仕方ないので手だけ振ってました。
水とか飲みながらbig proofコールをして、like toy soldiersに流れ込みました。プロモを改編したものが映し出されており、プルーフおよび他のビーフで亡くなった人たちを写し出す演出で美しかった。またおもちゃの兵隊が倒れていく様には「ただの商品として使い倒されるだけになるな」という意味を勝手に読み取り、うるうる来ました。もともとこの曲のコンセプトはビギーたちのビーフも利用されてるんだからそういうのはやめようぜ、っていうのだったんだけど、まさかそのPVに出演してた親友のプルーフが本当に巻き込まれて死んじゃうなんて、作った当時のエムは思ってなかっただろうな・・・。プルーフの死は間違いなく、エムの不調に拍車をかけたと思うし、そのためにリラプスの作成も遅れたと言われています。Say big proof!という掛け声がありました。
Drake名義での客演Foreverをやった後にはnate doggコーナーがあり、nate doggコールを求められます。そこではtill i collapseとCinderella manをやりました。どちらもテンションが高いままコールできるものです。Nateパートは私たちが歌うのですが、till i collapseは結構難しいのな!言葉の切れかたが独特っていうかさ。客演の天才といわれる人だから、癖くらいあって当然だけど、あんな歌いにくいとは思ってなかった。Cinderella ManはEmを表すような曲であると同時に、結局時間を戻してもどうにもならない、今を生きるしかないっていうことをうたっているようにも感じました。
このあたりにspace boundがありました。エム流のラブソングですがとにかく暗いしあれをなぜシングルカットしたのか問い詰めたいレベルです。個人的な歌な気がするんだけどそうでもないのか??
そのあとに男女に分かれて掛け声とかやったあとに「こういう関係に陥ったことのあるやつはいるか?」と言ってlove the way you lieだったかな。リアーナ来るかなと思いましたが来ませんでした。ちなみに高ぶりすぎていて男子が声出すとこで間違えて声だしちゃいました(笑)やっぱり盛り上がりましたねこれは・・・
I need a doctorがその後に始まったときにはすでに辺りは真っ暗になっていて、プロモと同じ画像が出てきて、ドレー来るのか?って興奮した。あのイントロのI'm about to lose my mind...のメロディーが寂しげで不安感を煽るのに加えて、暗い中に浮かび上がる心電図がなんとも言えなかった。結論から言うと大阪でドレーは来なかった。でもまぁ来ればラッキーみたいな感じだったのでよかったです。i need a doctorはグラミーのときにやってて、それがドレーの出てくる演出含め鳥はだものだったので期待はしてたけど・・・。これはかなり短めだったけどまあ仕方ないだろう。
でまたエムが少し話した。「ホームに来たみたいに感じさせてくれてありがとう。だから…ちょっと昔に戻っていいかな?…声が小さい!昔に戻っていいかな!?」という感じでmy name is, the real slim shady, without meのメドレーをやった。やっぱりこれは半端なく盛り上がった。個人的には残念だけれど日本でエミネムが好かれるのはこういうコミカルな面も強いのかなと思った(Without MeとThe real slim shadyはシリアスな面も含まれてるけどね)
海外ではCrack a bottleをやったこともあるようですが、やりませんでした。やらなくてよかった。あの曲好きじゃない。
盛り上がりが一段落すると、エムが話を聞いてくれ、と言ってこんなことを言う。

「この会場の中で、クソみたいな場所に閉じ込められたことのあるやつはいるか?最悪な状況にハマったやつはいるか?この曲はそういうやつらに向けた・・・お前たちに向けた曲なんだ!!」

と言って流れ出すNot afraid!!!!
Not Afraidは彼自身のストーリーをなぞったものでありながら、他人にも「俺もこんなんだけど頑張ってるからお前らも頑張れよ!!!」というメッセージが込められたものだと私は考えています。Eminemの曲の理解の仕方とか楽しみ方っていうのは、私にとっては読んでてカタルシスを感じるというだけではなく、彼の人生を感じて、自分もその中でもすこーしずつ生きがい探していこうよ、このクソな世の中だけどっていう絶望前提のものだと思って14年くらい経ちました。また、この曲はフルでやりました。もともとエムの好きな曲しかやってないライブだったけどw、これをフルでやるのはやっぱり深い意味があると思いました。理由はいろいろあるけど、基本的に本名の「Marshall」を据えた歌だと思うんだよね。それを全部丁寧に歌うあたりが今のエムの強さだと思った。
エムはいろいろな道を通ってきたけどプロデューサーよりもやっぱり自身がラップしている方がいいと思ったのではないだろうか。それはただ怒るだけではなく、怒りを通じて他人に語りかける、そして歌詞だけでは通じない何か(これがラップの特殊性だと思う)を表現することが自分の道だってことに気付いてくれたんだと思う。そして私は個人的にそれがとてもうれしい。
私は、昔から怒りを昇華して他人に語りかける時のエムは最強だと思っていて、本当にそれがうまくできてるアルバムがRecoveryだと思う。そしてそれを一番表現できているのがNot Afraidだろう。それを最後に観客みんなに歌えて、きっと会場にいた人もエムのことを理解したんじゃないだろうか。

この後、もちろんアンコールがあった。だってまだやってない曲があるのをみんなわかっていた。結構ここでタメがあって、一瞬「まさかアンコールないとか・・・」と思ったが心配は無用だった。生演奏で音を出した後、あのイントロが!!!!Lose yourself!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!これもPVを流しながら全部やってくれた・・・
Marshall MathersLPから10年以上・・・そして8 mileからも約10年。たいていエミネムが好きっていうと「え」っていう反応が多かった。「どうせミーハー的に好きなんだろう」と思われることが多くてそれは悔しかった。ただ私は彼がイケメンだから好きとかそういうレベルじゃなくて好きだ。実際最初好きになってから数カ月は見た目を全く知らなかった。エミネムは世間から思われているコミカルなイケメンラッパーなんかじゃなく、非常にシリアスに現実を見つめ、自分が商品化されていることを受け止めているラッパーだとずっと言い続けて来ていた。なかなか世間の目は変わってないなと思っていた・・・・
でも実際は、私のようにシリアスな観点でエムをとらえている人もそれなりに多かったのかもしれない。頭の良い、でもときどき感傷的になってしまう人間であるMarshall Mathersを理解していた人が大半だったのかもしれない。それはLose yourselfという、シリアスで叙述的な曲が盛り上がったことから感じ取った。かっこいいけれど、あの曲は決してあげあげな曲ではない。ファンの多くがこれをお気に入りにあげるのは、やっぱりシリアス面も彼の魅力であり、多くがそれを理解しているということなのかもしれない。
Eminemはドラッグ漬けになったときを通じて成長したという人がいるかもしれないが私の意見は違う。Lose yourself, the way i amの時代からは変わっていない。でも、その道を続けて行くために右往左往している普通の人間。ショーは時間通りにきっちり終わらせるし、変なサプライズもない。なぜなら彼はビジネスマンだからだ。彼自身が「商品」であることを自ら認識しているからだ。その枠のなかでどれだけ自我を表現するかということにきちんと向き合ったのがRecoveryだったと私は考えています。
この日は最前列中央部を取ったこともあり、非常にみなさん歌が歌えていました。サビだけでなくヴァースも。みんなすごすぎだろう。私は帰り道、これから全力で分からなかった部分を暗記して千葉マリンに臨もうと決意するのでした・・・

就職は大切ではあるが、1つのプロセスに過ぎないという気持ちを強めている

就職活動の話をしようと思う。そろそろ就職活動が終わる人が出てきたり、まだ悩んでいたりする人が出てくる時期だと思うから。
私は就職活動をなめくさっていた人間だった。ちょっとあれはひどすぎたと思う。でもその立場は決して間違っていなかったと今でも思っている。以下に理由を述べたい。
まず、就職はもちろん大切ではあったが、やはりそれは自分の過ごす場所を選ぶ過程に過ぎないということが分かったからだ。
私は仕事一筋の人間だと思われがちだが、まったくそんなことはない。というかお金が入ればなんでもいいと思っている。ただ、どこにいようと、自分の居場所を見つけるのには必死な人間だと思う。そのためならばなんでもする。たとえば私が経理の仕事をしていたならば、その関連の何かを探して、休みの日でも勉強していたと思う。国際会計を勉強していたかもしれない。まあ文系の道である限り(少なくとも大学までの人生は今まで通りだったと仮定した場合)、おそらくスペイン語・英語を使うことに関しては固執していたと思うので、その点に関して言えば死ぬほどわがままを突き通したと思う、が、それ以外に関しては無欲なので、きっと例えば休みの日にスペイン語を使うボランティアでも見つけたら心は安定しただろう(実際神戸にいたときは仕事では生かせないらしいということが分かり最後の1年半くらいはそうしたボランティアをしていた)。今の人生であれば、語学を使って、自分の居場所が見つけてお金を獲得できる方法が見つかれば何でもいい。
今、語学を例にとったが、高校時代に留学しておらず、理系の道に進んだと仮定してもそれは同じことだったと思う。私は化学系科目を中学〜高校にかけて一貫して得意としていたのだが、その分野だったら地学関連か、建築関連(どっちも土木関連かよ!)の仕事に就きたいと思っていた。それだったらそれで、自分が好きなことを極めるために、仕事とか学校でやってることとかそこまで関係ないレベルで一生懸命取り組んだと思う。だから結局仕事はそこまで関係ないと思う。もちろんなんでもやるのだけれど、その中でも自分が特に好きなことを、求められる求められないとは別に突き進めて、仕事(お金を生む作業)に生かせないか考えるはずだ。それがお金大好きな私という人間のすることである。
余談だがのちにこれらの分野を極める(実務レベルに引き上げる)には、最大の苦手科目だった物理が必要とされると知り、学校でほとんど物理をやらなかった(日本の学校に行ってなかったから)私はあきらめるのだが、冷静に考えたらこの苦手を克服する方が幸せだったのではないかと未だに思っている。

自分の好きなことは仕事にできないかもしれない。逆に仕事にすれば楽しいかもしれない。私はどちらも真実だと思う。ただ現在社会人6年目、そして転職をしていない人間として考えてみると、どちらも関係ないのだ。すべてを切り開くのは自分で、仕事は生活の一部でしかない。もちろん多くの部分を占めるのは間違いないけれども、どんなことでも好きなことを盛り込むのは可能だと思う。仕事は好きなことであろうが嫌いなことであろうが絶望しかない。きっとうまく行かないことだらけだ。でもその中でも、もしかしたらきっと少しいいことがあるんじゃないか?そう思って私は仕事を続けている。好きなことはないなら作り出すしかない。

ずっと同じ会社に勤めるか、いろいろな会社に勤めるかは個人の選択によるところだと思う。しかしいずれにせよ、さまざまなことを行う中で、最初の就職というのは一つのきっかけにすぎない。もちろん大切なものではあるが、やはり就職も、就職活動も、1つのプロセスだと捉えなければいけないなと強く思っている。

小沢健二のライブ、クレエンシアとクレエール

卒論で小沢健二エミネムか本気で迷った人が私です。ちなみにどちらも方向性はそこまで変わらないけど。ジャンルは卒論の時に書いた話に近いので卒論発表にしてます。

小沢健二のライブに行ってきました。初日。初日って!ネタバレは極力しないように気をつけますが、多少あるかもしれません。また、筆者はスチャダラパーのかなり前からのファンであり、その点に関して若干ネタバレになることが想定されます。それを前提に読み進めて行ってくださいw

会場に到着したとき、Tシャツが展示されていた。その中のTシャツの一つは「エスペランサとエスペラール」という題材だった。これと同じような言葉をもう一つ知っていた。それがCreencia「クレエンシア」とCreer「クレエール」だった。
Creenciaとは日本語の「信念」「信条」という言葉に近い。何かを信じること、そしてその根本をなすもの、それが「クレエンシア」に当たる。
Creerは見て分かる通り、クレエンシアの語幹に当たる部分を動詞化したものである。意味は「考える」「信じる」。しかもこの言葉は頻繁に使われる。「考える」という言葉はみなさん日本語でもよく使うから当然のことだと思う。どういう風に使われるかというと、自分の意見を述べる時に、「Creo que ...」という具合に、自分は◎◎だと思う、ということを言う時には欠かせない言葉である。また、こういうことが起こると思う?とか、こういうことを信じている?という意味を使う時も、「Crees que ...?」という形で頻繁に使われる。双方の意味が比較的よく出てくるのだ、英語で最も近い単語はbelieveだが、それよりも頻繁に使われている印象がある。
日本語では全く違う意味合いを持つこの言葉だが、スペイン語においてはこの2つは同じ言葉である。つまり考えることと信じることに大きな差はない(いや実際はあるんだけど)ということになる。初めてそのことを知った際には、非常に驚き、また言葉の奥深さに感激したものである。英語とは異なる奥深さがスペイン語にはあると思った。信じることと、考えることは、根本的には同じ行為なのだ。スペイン語は比較的ラテン語に近い(あくまでも英語との比較)ためか、このように一つの言葉に非常に多くのことが含まれている場合が多い。それは難しさでもあるのだが、好きな部分でもある。

今回の小沢健二のライブでは、「信じること」についてのモノローグがある。内容についてはネタバレになりすぎるので詳しくは触れないが、信じることは悪いことではない、という概要である(超ざっくり言うとだけれど)。
またエスペランサとエスペラールについて知らない人がいるので説明しておくと、エスペランサEsperanzaは「希望」という意味があるが、その語幹となる部分を動詞化したエスペラールEsperarは、主に「待つ」という意味で使われる。待つことと希望を持つことは、根本的には同じだったのだ。そのことを、小沢健二はたびたび、楽しいこと、おもしろいこと、素敵なこととして語る。私もそう思う。待つことは、希望を持つことにつながる。

同じように、このクレエンシアとクレエールのつながりも、私はすごく好きだ。考えることは、信じること。それは実際、人間の思考の心理を示しているのではないか。考える、それは自分なりの論理を、信じること。誰にだって、信じていることくらい、あるでしょう?

小沢健二のライブは、全部で3時間ちょっとあった。その間ずっと、私はクレエンシアとクレエールの話を考えていた。そしてちょっとしたことで涙しながら、ライブを見ていた。涙は、いろいろな理由で流れる。自分の信じていたことが、多少なりともきっと小沢さんも感じているのだろうとか、この文脈でこの曲はこんな風になるのかとか、そんな感じ。わたしはいつだって自分がスペイン語・英語話者であることに、そこまで自信を持てない。そしてすべての言語において(日本語含む)うまく使えていないと感じている。それでも、高校生のときにスペインに行って、自分は間違ってなかったよね、と多少でも感じられた小沢健二のライブは非常に楽しかった。

よく人に、なぜ小沢健二がこの年齢で好きなのか聞かれることがある。非常に特殊事例であるので、説明はしにくいのだけれど、よくこの説明をする。

「おそろしい仕組みをつくって人びとをいじめていた者たちと、『仕方がないよ、そういう仕組みなんだから』と従いつづけていた者たちは、ある日、とつぜん町のなかが騒がしくなったと思うと、次の日には、かならずパンツ一丁で逃げまどうことになるのでした。
灰色は、その歴史を、なるべく人びとに見せないようにしていました。それは、あまりにも大きな、楽しさとか、喜びとか、希望とか、優しさとか、おもしろさを、人びとに与えてしまうからでした。
「うさぎ!」第2話

人生に悩んでいた時に、この文章が小沢健二のCDの帯に書いてあって、ハッとしてしまったから、それから、小沢健二の紡いだ言葉を、必死に追いかけたのだ、と答える。今でもその気持ちは全く色あせていない。だからこそ、今でも同じ気持ちで彼の言葉を聞いて泣いたりするし、同調するのだろうと思う。

震災が起きて以降、自分は何ができるのだろうと一生懸命考えているけれど、まずは自分磨きのほか以外にはない、今の会社で私は商品として成立していた時期がない、と考え、身を正すしかないと思うのでした。ここで商品として成立しなかったら、人として役に立とうとなんて思ってはいけないと私は考えています。

あんまり感想らしい感想ではないけれど、これが今回の小沢健二のライブの感想でした。

気が付けば、怒りを爆発させていた

別にあきらめている、はずだった。それなのに、気が付けば、私は2時間も話し続けていた。初対面の女性に対して、怒りと絶望をにじませながら、いったいいい大人が何をやっているんだ。自分で途中からそう思っていた。それでも、私は心の中から流れ出る何か黒い感情が流れ出すのを止められなかった。

何をしに行ったかというと、英語の勉強をもう少しきちんと体系立ててしたいなと思って、あるスクールでカウンセリングをしに行ったのだけれど、そこで気が付いたら、スペイン語を英語と同じレベルで商業ベースに乗せて使うのは難しいということについて、ずっと怒りをまくし立てていた。

卒業論文で私が扱ったのは英語の現代社会における特殊性の成立と、それが自分の人生においてどのような役割をになったかということを、徹底的に客観視して述べることであった。それは私にとって身を切るようにつらい作業であったが、それはそれで意味のある行為であったということは理解している。

高校生のときの1年間をなかったことにしてはいけない。
友人たちに「あの子と友達だったんだ」「あの子と高校生時代を過ごすことができて本当によかった」と感じてほしい、わたしはそれだけの思いを持ってずっとずっと過ごしていた。
何か、どこかに就職すれば、自分には専門性を身に着けることができるかもしれないと思って過ごして、神戸で働いて、なんとか自分の「普通の仕事」をこなしながら外国語使えないのかなって思いながら頑張った。でも限界がある。今の部署でも頑張ってる。今の部署はめちゃくちゃ楽しい、それでも限界がある、しかも伸びない、なんだこのジレンマ、仕事楽しいのに伸びないとか馬鹿なの、死ぬの、って思って1年やったけど結論は出た。
金を出そう。というわけで金を出してでも外国語上達させたいと思っているのが今の私です。私にとっては外国語を上達させることの方が、何よりも大事だし、人生をなかったことにしてはいけないと思うことにつながっている。だからその相談に行った。でも膿を出そうとして出てきた言葉は、明らかに、英語偏重主義、経済に追随する言語の重要性に抗って言語使おうとする力に負けそうな自分の怒りだった。自分に対する怒りだった。
頑張っても頑張っても、自分の高校時代の選択をなくしてしまうことにしかつながらない。どうすればいいんだ、なのに別の壁が次々に立ちはだかる。中国語でもない、ポルトガル語でもない。どのことばも少しはわかる。ポルトガル語の理解に、スペイン語の知識は十二分に生きているのでそれはうれしい。でも問題はそこじゃない。スペイン語を金につなげていくにはどうしたらいいか、スペイン語で金をかせぐにはどうすればいいか。無理だってわかってる、でもこの企業の中でその価値を高めることは可能なのではないかと思っている。
でも、その成果は、どんなに頑張っても届かない。そのいら立ちを、見知らぬ女性に対して、気付けば2時間伝えていた。